鉄骨造・鉄筋コンクリート造の始まり
日本では、幕末から明治初期にかけて洋風建築が続々と建てられましたが、主な構造は木造やレンガ造でした。
木造は火災に、レンガ造は地震に弱いため、部分的に鉄骨で補強して普及していきました。
鉄骨を主構造にした建物も明治初期からありましたが、橋梁やクレーンなどの鉄鋼構造物の専門の機械技術者が手掛けていて、鉄道や軍施設、工場が主でした。
鉄骨造や鉄筋コンクリート造が本格的に使われたのは、明治30年代に入ってからでした。
明治36年に現在の東京大学で鉄骨構造の講義が行われ、明治39年には鉄筋コンクリート構造の講義が行われました。
本格的な鉄骨造建築は、明治42年完成の丸善書店が最初でした。
ヨーロッパでは1851年に世界初の万国博がロンドンで開催され鉄骨造ガラス張りの高さ230メートルの水晶宮が建てられました。
この工法が鉄道の駅舎や工場建築に大きな影響を与え、この鉄骨の効果は、1889年(明治22年)のエッフェル塔の建設へ繋がっていきました。
エッフェル塔
鉄筋コンクリート造第一号は海軍施設
鉄筋コンクリート造を最初に実用化したのはパリの植木屋でした。
鉄鋼で補強したコンクリートの植木鉢を考案して、特許をとりました。
これを建築に応用したのはフランス人で1892年(明治25年)に鉄筋コンクリート工法を発表して、世界各国で採用されました。
大成建設はこの工法を利用して明治42年にフランスから技術者を招いて鉄筋コンクリート技術を導入しました。
この工法の第一号は築地の海軍施設で明治43年に完成しました。
また明治44年、三井物産の4階建ての建物をビルとして初めて鉄筋コンクリート造で設計しました。
関東大震災(1923年)以後、6階建て以上の建物は鉄骨を鉄筋コンクリートで固めた剛構造の鉄骨鉄筋コンクリート造が一般的となりました。
公団住宅