霞ヶ関ビルが日本初の超高層ビル
地震の多い日本では超高層ビルを建設するのは不可能と言われてきました。
しかし、「柔構造理論」の登場で技術的に可能であると考えられるようになり、関東大震災後に制定された建築物の高さ31メートル制限に関する法律が昭和38年に撤廃されました。
そして、昭和43年に霞ヶ関ビルが完成しました。
高さ147メートル、36階建ての日本初の超高層ビルでした。
関東大震災に耐えた上野寛永寺の五重塔は地震に強い柔構造になっています。
木造の五重塔もこれによって地震の際、揺れることで多少の変形を吸収してしまいます。
この原理を近代的な超高層ビルに応用しました。
また、地震の多い日本で実際に超高層ビルが建てられるようになったのは、コンピュータの発達で振動計算が容易に出来るようになった事や、柱などに使う高張力H型鋼の生産や溶接技術の進歩によります。
昭和55年に建築基準法施行令が改正され、高さ60メートル以上の建物は、超高層建築として地震に対する特別な耐震設計を行ったうえで建築が許可されるようになりました。
現在ではさらに耐震から制震・免震に発展して、地震や強風などで生じる揺れと、揺れから生じる建物の機能障害などを特殊な装置を組み込みコントロールしています。
霞ヶ関ビル